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それでも自由で在ることを選択した意味

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それでも自由で在ることを選択した意味

それでも自由で在ることを選択した意味

2023/12/292024/03/03

目次

    自由の意味

    私は自由で在ることを選択し、それを貫いてきました。

    その意味についてお話しする前に、まずは自由という言葉の定義について考えてみたいと思います。
    自由という言葉は当たり前のように使われていますね。今さら深堀して考えることもない言葉ですが、自分自身の歩みを振り返る中で定義を知りたくなったので少しご紹介します。

     

    <辞書の定義>

    1. 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。
    2. 勝手気ままなこと。わがまま。
    3. 《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
    4. 法律の範囲内で許容される随意の行為。

     

    仏教における自由の定義

    「自由」とは「自らに由る」とあるように、自らの意志をよりどころにすることを意味した言葉であり、執着から解き放たれた状態である「解脱」を表すこともある。

     

    西欧における自由の定義

    Liberty(自ら勝ち取った自由)
    ①抑圧や不自由から解放された自由 
    ②生きていくために、働く。財産を所有する。市場でモノを売り買いする。契約を結ぶ。

    Freedom(持って生まれた自由)
    ①制限のなく、開放的な自由
    ②自分たちで政治をする自由
    ※②は「一人ひとりが政治をする自由は与えられて当たり前のもの」という考えに基づきます

     

    自由の定義

    自由とは、自己決定の有無で決まる。

     

    自由に関して暫くネットサーフィンしてみました。そうしたら上記のような内容と出くわしました。自由の定義はいろいろな表現がありましたが、上記の「自己決定の有無で決まる」という言葉が私には一番シンプルで分かりやすかったです。そして多くの表現もこれと同じことを言っていたように思います。

    ここからは私の個人的な見解なのですが、一般的に自由になりたいと聞くと、自分の行動や意思を自由に決められる環境に出会いたいと言っているような印象を受けています。何故なら、彼らの自由になりたいという言葉と一緒に自分たちが置かれた環境への愚痴がついてくるからです。
    自由であるかどうかを環境に依存する時点で、与えられた環境下にある、必ずしも自分で決められないルールの中で生きることを前提にしているので自由とは違う気がしています。

    このようなシーンと同じくらいよく聞くのが、「他人に迷惑かけなければ何しても自由でしょ」みたいなフレーズがあります。これって自由なんでしょうか?自由であるかないかが他人の顔色で左右されていて、自己決定できていない時点でこれも自由とは違う気がしています。

    私が考える自由は

     

    自分の生きる軸(自分軸)を持ち、何にも流されず生きている様

     

    です。

    多くの人の意見や考えを聞きながら、自身と他者の思考や感情に想像を巡らせて、自身の生きる道標となる自分軸をつくる。誰に何を言われようと周りに左右されず自分軸を貫き生きる。それが真に自由で在ることだと私は考えています。

    私が貫いた我儘

    自分軸をもち、何にも流されず生きていく。

    自分自身の過去を振り返ってみると、かなり多くの我儘な選択が思い出されます。私が在籍したほとんどの会社で自分を貫き通してきました。因みに私は20社以上10職種以上を経験してきています。。

     

    いくつか我儘を通した例をあげると


     

    • 目覚ましい営業成績を上げた会社での出来後ですが、自分がピンとこない商材を担当させられた時その商材をほとんど売りませんでした(それどころか実質その商材の営業活動をしなかったと思います)。
       
    • 誰でも知っている有名な上場会社での出来後ですが、部署内の飲み会で当時の部長(自分の3階級ほど上)が私の正面に座ったのですが、よく知らなかったのでビールを注ぐことはありませんでした(部署内のほぼ全てのスタッフに注ぐよう強く言われましたが、それでも注ぎませんでした)。
       
    • 知りたいことがあり入ったブラックな会社での出来事ですが、当時平社員だったのですが、運よく社長に誘われ、2人でお昼を食べるタイミングがあり、その時雑談で知りたい事を聞けた後、数日後にさらっと退職しました(その昼ご飯中にブラックな業務を依頼されたからでもありますが)。

     

     

    正直ベース、上記の3つの例は割とライトな例で比較的面白おかしく話せるので、いろんなところで話す内容だったりします。

    在籍した場所全てでこんな感じでしたので、掘り返せばいろんなエピソードがあります。とはいえめちゃくちゃ破天荒な人生だったかというとそうではありません。

     

    私の優先順位1は19歳の頃から思い続けている「共感ビジネスを社会の当たり前にすること」です。自分の思いを実現できなくなりそうなリスクは絶体に取りませんでした。。

    だけど中々にダメっぷりを発揮してきた私は努力もしたくない(絵で描いたようなダメ人間でした、、はい)。。

    19歳の頃から努力するのではなく、自分が自然にやれるもの、やっていて何も苦にならないこと、それでいて誰かの価値になっていること。そういったもの以外に私が携わる理由がないし、携わる魅力もなかったので、依頼されても私が本腰をいれてやることはなかったのです。

     

    起業した後も全く同じ。

    ピンときたもの以外は全くやらない。表面上でOKとはいっても、ピンと来ていない場合はなんだかんだやらないという至極めんどくさい人間だったんです。当時一緒に活動をしていたスタッフやサポートメンバーはかなり苦労したと思います。しかもピンと来た時はめちゃくちゃ行動が早いのです。この落差が半端ありませんでした・・。ピンときたものは話した直後から状況を大きく変化させたりするのですが、、その延長にある内容でも、何かにピンとこないといきなり止まる・・・
     

    もう周りからしたら何が起こったのかが分からなかったはずです(笑)

    私の選択

    大学生の頃の私は毎日のように自分自身と向き合う毎日でした。今考えてもそんなに何をしていただろうって思っています。まさに学生の特権のような生活でしたね、なんせほぼ毎日3~6時間カフェで時間つぶしたり、散歩したり、お天気のいいときは寝転がったりしていろいろ妄想していたのです。。どんだけ時間あったの!?という話ですね。

     

    この日々で私がやっていたのは

     

    • 私がやりたいことは何か?
    • 何故それをやりたいのか?
    • 何故それを実現する必要があるのか?
    • どのようにそれを実現できるのか?
    • 将来の日本・世界はどうなるのか?
    • 将来必要になるものは何か?

     

    などなどを自由に妄想していました(いや自問自答してました)。思考が進まないときは寝てしまうときもあったんですけど(笑)。。

    が不思議なもので、大抵は1~2時間くらい思考していると、ある時ふってくるように思考が翔るんです(映像が見えるように思考が進むんです)。あの時はいろんなものを見れて楽しかったです。自由に自分の将来を妄想したものです。

     

    そんな時間を過ごしながら、私はかならず自分と同じものを目指している会社で仕事をしたいと思い、大学生の期間中いろいろ会社を探しました・・・が探し方が足りなかったのか、そういった会社を見つけることはできず、大学卒業時には、自分で会社をつくりこれを実現することにしたのです。

     

    その決意は日本に帰国した大学入試の頃から大学5年生までの期間にゆっくりとじっくりと固められたものです(手術をしたため1年留年)。これでもかっ!?てほどゆっくりと(笑)。

     

    大学卒業後の私のキャリアは良くも悪くも完全にこの思いの実現に捧げました。

     

    自分の思いの実現のために私が決意したことは

     

    • できるだけ多くの現場を見る。
    • できるだけ多種多様な個人と対話をする。
    • できるだけ努力しない(自然体になれるものの実践を繰り返す)。
    • 信念を曲げない、妥協はしない、形が変わっても追及し続ける。

     

    です。

    そして最後に一つ重要な決意を最近しました。いままで私が決意した内容と私の性格上、本当に多くの方々にご迷惑をおかけしてきました。だから暫くは(もしかしたらずっと)自分ひとりの

     

    フリーランス・個人事業主という形で進める

     

    ことを決めました。

    自由で在ることは当たり前になる!?

    完全に私の個人的な見解でこの先をお送りします。

    私は人が自由であること、自己決定できること、外的にも内的にも自由な状態で在ることは当たり前になると思っています。

     

    ChatGPTなども出てきて、いよいよAIは本格的に日常に入り込んできました。

    Web3.0で叫ばれるようにこれからの技術革新は想像できない領域に入り込みそうです。

    ブロックチェーンやDAO(分散型自律組織)の概念により新しい経済の形が生まれそうです。

     

    しつこいようですが私個人の感覚ですが、ここで間違えてはいけないのは決して楽な時代が訪れるわけではないということです。自分の内側にある何かを見つめ深めることができる個人は躍動し、単純に思考停止して楽な道に進もうとする個人には別の道が用意されます。

    それは今もそうですが、これからはくっきりと二極化するかもしれません。

     

    自身を深堀できる個人>AI>思考停止した個人

     

    これは案外近い未来に確立することで、今は確立するまでの渦の中だと思っています。

    この渦の中ではいろんな変化率を創れるはずです。

     

    だから私はすべての人がイキイキ生きていける社会をつくろうと「共感ビジネス」を社会の当たり前にしようと挑戦しているのです

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